「Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠」に寄せて
時代が大きく変化する中で、アートやクリエイティビティが果たす役割は様々に変化していきます。例えばそれは、これまで当然とされてきた価値を疑い壊すこと。また新たな時代の中で立ち上がってくる概念と人々を結ぶことも重要です。そうした多様なアプローチの中で、私たちが特に大切にしていることは、日常の中にある何気ない一瞬の中から普遍性を見出して、人々を未来とつなぐことです。
その視点は平安時代に書かれた「枕草子」の中にも見出すことができます。枕草子の冒頭で清少納言は春の美しさを、曙をめぐる風景で示しています。当時の価値観でも春といえば花でしたが、そこに花は登場しません。冬という静かで停滞した季節から、いのちが芽吹く春へと至る喜びを、夜が明ける瞬間の描写で表現したのです。1000年以上前に書かれた随筆ですが、一瞬の中に宿る美しさや感情の描写は、今なお人々の心を動かし続ける普遍的なものになっています。「Eternity in a Moment」という名称は、先人達が紡いできたこうした美意識へ敬意を込めたものです
TOKYO NODEにおける今回の展覧会は静かで内省的な展示から始まります。人類が経験したコロナウイルスのパンデミックの中で、経済という大きな流れが一旦スローダウンし、人々と社会が向き合う時間がありました。人と人、人と世界のつながりをどのように捉え直すのかという問いは、様々なコミュニティで立ち上がっています。そうした文脈の中で、いのちのあり方を見つめる「残照」、「Breathing of Lives」「Flashing before our eyes」という前半の作品が提示されます。夜が明け、差し込む光は様々な未来につながっていきます。「Intersecting Future」は多様な未来へのつながりを示す空間展示です。この空間では、花開くような感情との出会い「Blooming Emotions」、儚いいのちをめぐる追憶「瞬く光の中で」などの展示を経て、「胡蝶のめぐる季節」に至ります。最後の展示である「Embracing Lights」はこれまでの時間の中で紡がれてきた人々の祈りを未来へつなぐ旅です。
何気ない日常の景色であったとしても、少し見方を変えるだけで、全く違う美しさや情感に出会うことができます。また今回の展示の核をなす映像インスタレーションの全てに共通するのが”夢のように見える美しい景色であっても全て現実の映像であること”、そしてそれらの大半は”人々の日常の延長線上にある何気ない場所で撮影されていること”です。これにより未知なる景色でありながら、懐かしさを感じるような心象風景とつながり、作品の鑑賞体験を結んでいきます。世界にある様々な景色や情感が、鑑賞者の心象風景と結ばれることも、本展覧会の体験の重要な要素です。皆さんと体験を共につくる中で、本展が未来へつながる新しい場になることを私達は願っています。
1. 残照 Afterglow of lives
本作品は、いのちが生まれ散っていく生命のサイクルを、様々な時間軸の中で表現した空間展示です。一方の面では、色鮮やかに咲き誇る様々な花々がいのちの力と多様な豊かさを示しています。もう一方の面では、枯れた花々が落ち、種子が散りゆく様が表現され、生命の終わりと再生の始まりを描いています。この二面性は、美しさとは一瞬にして変わるものであり、しかし新たな再生への道を示すものであるという、生命の一部である死と再生を示しています。
作品は生と死、繁栄と衰退、明と暗といったコントラストを、私たちの人生や世界の移ろいと重ねています。美しく咲き誇る花々も枯れた花との対比の中で無常感が滲みます。また枯れた花を観察するとただ悲しいだけでなく、次の命の種子を宿す希望が内包されていることも感じることもできるかもしれません。咲く花と枯れた花は美醜によって対比されるのではなく、そのどちらにも美しさがあります。鑑賞者は自身の経験や感情、未来に対する考えを反映させながら作品と向き合うことで、作品の中にある多様な美しさを感じることができるでしょう。
2. Unchained in Chains
花のシリーズと同様にアーティスト蜷川実花の代表的モチーフの一つである金魚についても、近年の作品にはその捉え方に異なる側面が生じています。これまで撮影されていたのは、海外の金魚街にて袋あたりいくらでまとめて売られる金魚でした。それらは人々の欲望を満たすための“もの”として扱われる側面を示すものでした。こうして扱われる金魚は、人間の欲望により品種改良が施され、かといって多くの場合は鯉のように個体として認識され大切にされるわけではありません。消費されていくいのちは、社会の中で見せ物として足掻き続ける自身を含む一部の人々の姿にも重なるものでした。
一方で近年こころを寄せて撮影する金魚はまた異なる側面を持っています。それは例えば大きな水槽の中で、のびのびと泳ぐ金魚です。郊外のある生物園では、一匹一匹を大切にしながら、開放的な環境の中で金魚を育成しています。存在をただ哀しむのではなく、それであっても個体として、どう生きるかに寄り添うこと。 金魚は、これまで水槽の中に囚われた一部の犠牲者の象徴としての側面のみが強調されていました。しかしながら、このコロナ禍を経て、人々は互いを制約する、社会というある種の水槽の中で生きていることを実感しました。現代社会という、強烈なつながりの中に生まれる巨大なシステムの中で生きる私たちはすくなからず、金魚に通じる側面を持つのでしょう。
3. Breathing of Lives
本作品は都市の中に感じるいのちの息づかいに焦点を当てています。都市という主題で何かが表現される時、その対象は建物や乗り物などの人工物、あるいはそこに暮らす人々のどちらかに寄ることが多くなります。ここではその間にある景色や感情に特に焦点を当てています。
電車の窓に映る、過ぎ去っていく街並みや、高所から俯瞰する米粒ほどのビル群。そのどれにも人の営みがあります。今は使われていなかったとしても、そこに刻まれた時間があり、これから新しく創られる場所にはその先につながる時間があります。
日が落ちた後に浮かび上がってくる街の灯り、ネオンサインや車のヘッドライト、ビルの室内や屋上に灯る光。その光の向こう側に、人々とのつながりがあり、いのちの息づかいを感じることができます。窓ガラスについた水滴、道路にできた水たまり、立ち込める霧や川の流れ、、、都市をめぐる水は、光を移し込み、そこにある息づかいを共鳴させていきます。
都市がまとう光は、時に人々に文明をもたらした炎のように、その先に向かう力強さがあります。また一方で、その光は在りし日を偲ぶ追憶の灯火のように、儚く繊細です。追憶や願望、繊細さと力強さ、過去や未来、そうしたイメージが交錯する中に重なる、鑑賞者の息づかいもまた鑑賞体験を構成します。
4. Flashing before our eyes
走馬灯を共に見るような映像体験。無意識の中に沈んでいく中で、意識を取り戻し再び目覚めるまでのイメージ。動と静、生と死、緊張と緩和、束縛と解放、儚さと普遍、虚無と欲望、諦観と希望、終わりと始まり
5. Intersecting Future 蝶の舞う景色
蝶が姿を現すのは人の営みと環境が調和したときです。例えば日本のような環境では人間が姿を消すと、その場所から草原は消え、やがて蝶も姿を消します。別の環境ではそれは砂漠となるかもしれません。世界にとって既に人は環境の一部でもあり、望ましい未来に至るためには、人々の歩みをどの様に重ねるかが大切になります。今回の展覧会で撮影された植物や花々の多くは、あるがままの自然の中にあるものではなく、庭園や公園など人の意志の中で育まれた花や木々です。たとえば花は種子を運ぶために昆虫の目を引きつける為に咲くものですが、人間社会との共存の中で、人々の暮らしに多様な豊かさをもたらすパートナーという側面でも繁栄してきました。私たちは時に、人々とともに羽ばたく蝶の視点で、その時々に自身が感じる情感を重ねて、花や植物、そして人々の営みや都市の姿を映し取ってきました。
そしてButterfly effectという言葉の通り蝶は可能性の象徴です。あるべき未来、その先に広がる多様な可能性、そうした景色に思いをはせるときに、蝶はより添うように羽ばたきます。本展で展示する作品は「現在と未来」を結ぶ、というアプローチから様々な対象が撮影されています。花や植物、人々の営み、そして都市がまとう光は、その先に広がる景色とゆらめく情感が響き合う中で写しとられたものです。形が定まらない虚構というのは未来の1つの側面です。一方でそれは同時に、どのようにそこに至るのかという意思で、多様にひらかれる可能性でもあります。既存の価値観が揺らぐ地殻変動の時代の中で、何を大切に歩むのかが問われるのが現在です。私たちは、ともに歩む人々に寄りそうまなざしを、一貫して表現したいと考えています。
6. Fading into the Silence
本作品は造花と生花を組み合わせた空間展示を核とするものです。異なる周期で朽ちていく花々が展示され、期間中そのプロセスが写真として記録されていきます。空間展示の横には、先行して行われた同様の展示の時系列的な変化が写真によって示されています。
花々が異なる周期で朽ちていく様子は、自然のサイクルと時間の経過を静かに象徴しています。この展示は、美と儚さ、一時性と永遠性といった二元性を織り交ぜています。生花と造花の空間展示の隣で、過去を記録した写真を鑑賞することで、その空間にこれまで流れてきた時間、そしてこれから流れるであろう時間を認識することができます。これはこの空間での体験を静的なものから動的なものへとシフトさせ、展示全体が時間を通じてどのように変化するかを体感する触媒になります。
7. Luminous Echoes
本展ではIntersecting futureエリアの小部屋以外でも複数の場所で、写真イメージの上にネオン管で言葉を重ねた作品を展示しています。これは日常の中にある瞬間を捉えた写真と、それに対話を持ちかけるネオンの言葉が織りなす、時間と記憶の交錯を探求する作品です。
写真が示す風景は、瞬間に消えゆくイメージでありながら、ネオンの言葉によって永続的な概念と結びつき再構築されます。このプロセスは過去と未来、光と影、見えるものと見えないもの、静けさと動きなど、さまざまな概念の相互作用を生み出します。視覚的な調和の中に生み出される緊張感は、写真の捉えた風景に新たな次元を加えます。過ぎゆく時間の流れと個々の記憶が響きあう中で、それを見る人々の結ぶ感情やイメージも多様なものになるでしょう。
またこの作品におけるネオンの使用は、単なる視覚的な装飾を超える意味を持ちます。それは20世紀の光の象徴であり、都市の生活、進歩、さらには人間の孤独や希望を映し出す鏡です。ネオンの光は、過去の瞬間や感情を反映し、未来に共鳴する様子を表現しています。私たちはネオンというマテリアルの歴史と現代性を、写真の永続性と瞬間の美しさに重ね合わせることで、時間という概念に新たな解釈を与えたいと考えました。
Luminous Echoesは私たち自身の内面の探求と、外界との対話を促します。それは視覚的・言語的体験を通じて、私たちの周囲の世界と、内側にある感情を結びつける試みであり、心象風景と結ばれる多様な未来に寄りそうものです。
8. 瞬く光の中で In shimmering light with you
水ひとしずくの中に、世界を美しさがある。咲く花の一輪に、いのちの尊さを感じる。
吹き付ける風とともに、現実が迫り差し込む光に、あるべき未来を願う。いのちの歩みは、揺らめくシャボン玉のように儚く、その泡が還る流れは、静かでゆるぎない。瞬く光の中で、めぐりあういのちの愛おしさよ、永遠のような一瞬の中で、その先の景色を想う。
9. Blooming Emotions
本展で撮影された生花のほとんどは、自然の中にあるがままに咲いている花ではなく、誰かにむけて育てられた花です。花は本来は種子を運ぶために昆虫の目を引きつけるものですが、人間社会との共存の中で、人々の暮らしに多様な豊かさをもたらすパートナーという側面でも繁栄してきました。この展覧会では、その時々に私たちが感じる情感とともに、人々に寄りそって咲く花々のイメージを共有しています。
散りゆく、移ろいゆく、色褪せていく中にある美しさ、幻想的に光をうける花々がもたらす夢のような感覚。春の訪れを告げ、艶やかに輝く花々の中にある高揚感、たとえ儚くとも、力強く咲き誇るいのちの息吹。鑑賞者は、作品と向き合う中で、アーティストが感じてきた様々な情感をともに体験することができます。鑑賞者がこれまでの人生で出会ってきた様々な感情と、作品の奏でる美しさが結ばれる事で生まれる体験を探すこともこの展示の1つの見方になります。
10. 胡蝶のめぐる季節 Seasons: Flight with Butterfly
まるで「胡蝶の夢」を見ているかのような、、、この作品は蝶に誘われながら、四季の花々をめぐる映像体験です。蝶のように浮遊する視点で、鑑賞者は時に花々が織りなす色彩に包まれ、また時にいのちの芽吹きに祝福され、咲き誇る空間に引き込まれていくでしょう。
一方で幻想的な体験をもたらす本作品の映像は、実際はほとんど加工がされていない現実のものであり、また多くの花々は日常の中で撮影されています。蝶は夢と現実の間をつなぐ象徴である一方で、Butterfly effectという言葉の通り多様な未来の可能性の象徴でもあります。これは蝶が環境の影響を受けやすい生物であるという認識からも来ています。
激動する社会情勢下における人と世界の関係は、時に蝶の儚さにも重なります。本作品の映像はアーティスト自身も翻弄される中で、普遍的にある世界の美しさ、その先にある未来を見つめて作成されたものです。
5層の映像をめぐる鑑賞者の姿もまた時に映像の中に消え、シルエットが浮かび上がり、実像を結ぶなど、互いの存在を蝶のように認識することができます。胡蝶の夢から戻った人々が、現実と虚構の間を漂うだけでなく、その先にどのように歩むのか。人々に広がる多様な未来の可能性に寄り添い、その先のイメージを結ぶことも作品の重要な鑑賞体験です。
11. Embracing Lights
Embracing Lightsは光を主題にした映像体験です。この作品は感覚的知覚の輪郭をなぞりながら、光とその中に潜む時間的つながりを探求するものです。これは例えば、祈りという普遍的な体験の知覚を通じて、鑑賞者が心象風景の中にある「光」につながる記憶や感情と対話することです。渓谷の奥にある清らかな水面、深い森の中の木漏れ日、厳寒の中で輝くダイアモンドダスト、夕陽に照らされる海など、映像では過去から現在まで人々が祈りを感じてきた空間が重なっていきます。また本作品では特定の文化、宗教という枠組みではなく、その背景に共通する自然や感覚に焦点を当てています。
本作品において光は、単なる視覚的要素ではなく、生命の源泉としての意味も帯びています。地球上の大多数の生命が太陽光というエネルギーの上で育まれていることを踏まえると、このアートは光と生命の本質的なつながりを探求したものであるともいえます。映像では瞬きの光の移り変わりを捉え、その中にある時間の流れや生命の儚さ、その中に息づく(個体の死という概念も含んだ)未来へのつながりを結んでいきます。この作品は光という素材を通して、人と人、人と世界の間の関係性に問いを立てるものです。
また時の流れと存在について多様な洞察を行っている鑑賞者が同じ空間に存在していることも重要な要素になります。従ってEmbracing Lightsの展示体験は映像だけでなく、その空間を同時に体験する人々とランドスケープを含んだものとなります。この場所での光は、物質と感覚の境界を曖昧にし、観る者自身の存在とその周囲の世界を再考させる効果ももたらすでしょう。それは時に見るものの感情を反映した光であり、時に周囲の空間に包み込まれるような光になります。こうした空間体験は知覚と現実、物質と感情の狭間を彷徨うような体験を呼び起こすものになります。境界が揺らぐ知覚の中で、人と人、人と世界のつながりを多様に結ぶ光が、その先につながることで本展覧会は終幕を迎えます。